ワーホリ

30歳(アラサー)でワーキングホリデーに行くまでの不安とリアルな感想

前回、留学へ行く前と帰国後の比較をかきました。

その時はあまり書かなかったワーキングホリデーへ行く前の不安と帰国して思うことを書きたいと思います。

ワーキングホリデーに行きたいけれど、年齢のことやもろもろ不安な方の参考になればと思います。

私は30歳手前で仕事を辞めてその後悩んだ末に1ヶ月フィリピンで語学留学、そしてまたしばらく悩んでオーストラリアへ半年間ワーキングホリデーへ。帰国後は日本で派遣社員をして、悩んだ末に30歳の間に取得しておいたカナダワーキングホリデービザを使いギリホリでカナダへいきました。今は帰国しています

お金の不安

初期費用がどのくらいかかるのか、行ったら稼げるのか未知すぎるお金の不安。

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ワーキングホリデーへ行く前に思ってたお金の不安

フィリピンでの語学留学のあと日本へ帰国して、また海外へ行くか行くとしたらどのくらい行くか悩みました。

語学留学でお金を使った後だったので、またお金がなくなることも不安でした。
海外に長期間行くなら今使っている携帯のプランはどうするべきか、持ち運べるパソコンもあったほうがいい、大きいスーツケースが欲しい、コートは重いからダウンジャケットの方がいいのか、など持ち物も揃えるとなかなかお金がかかりそうです。

行ったとしても家を決めるまでのホテル代や家賃の相場、食費、携帯代、また語学学校へ行くならいくら必要なのか全てが謎でした。

ワーキングホリデーへ行ってから思うお金のこと

フィリピンの学校で出会った友達がワーホリでオーストラリアへ行きだして、どのくらいの収入と支出があるのか情報を聞いてようやく決心してオーストラリアのワーキングホリデーへ行きました。

実際の初期費用はざっくり飛行機代 10万、仮住まい 3万(1週間)、家賃とデポジット 8万、食費・携帯代・交通費などで 3万円として24万円ほどかかりました。
仕事が決まらないと家賃や食費などは掛かり続けます。

語学留学中に出会った友達の情報がかなり役に立ちました。

行ってから思うことは、働くことができたので金銭面ではあまり悩まずにすみました。
ただし仕事が見つからない間はお金が減っていく一方なのでかなり焦ります。

お金に余裕がないとせっかくワーキングホリデーにきてもやりたくないと思っていた仕事につくことになるかもしれないのでお金はあるにこしたことはないですね。

アルバイトが決まってからの収入は日本で働いているよりは稼いでいました。
給料の良いオーストラリアということもありバイトなのにあっさり給料が社会人の時より稼げてしまって過去の自分の薄給ぶりに笑えるほどでした。
ちなみに当時の私のオーストラリアでの時給は21ドルでした。

カナダでは時給12ドルほどでしたが、チップがそこそこつきました。

お金の不安まとめ

行く前の不安を気にする必要がないくらい、行ってからお金に困りませんでした。トータルすればプラスになっていると思います。

ただ仕事が決まって初任給をもらう間お金は減り続けますし、家賃などの初期費用もかさみます。

学校にも通いたいと思っている場合もワーホリであれば仕事をしながら学校にも通えるのでなんとかなると思います。

安く留学するならセブ島への留学もおすすめです。
参考サイト:1週間から行けるセブ島留学【MeRISE留学】

仕事の不安

本当に現地で働けるのか、とても悩みました。

キャッシャー

行く前に思ってた仕事の不安

海外に行くからには英語環境で働きたいとも思っていましたが、自分の英語力で何ができるんだろうという不安がありました。

英語もろくにしゃべれない、技術もない日本人が海外でできる仕事は何があるのか、ジャパレスなどの日系で日本語環境で働くしか道がないのなら行く意味ないんじゃないかと不安で思っていました。
だったら求人のある海外で働いてしまえと思い、アジアのコールセンターの求人に応募したこともあります。

※ネイリスト、美容師、整備士、マッサージなどなど日本で技術的な仕事をしていた人は海外でも仕事は見つかりやすいです。

行ってから思う仕事のこと

仕事探しは探すコツと気合いでなんとかなる気がします。

オーストラリアでの仕事探し

オーストラリアでのワーホリではワーホリ1カ国目ということもあり、手探り状態でした。
そのくせレジュメ配りはしたくないと自分から仕事を探すということもせず、それでも英語環境にこだわって現地人や現地で知り合った外国の方から仕事を紹介してもらいましたが、どこに行っても必ず日本人がいる状態でした。
(オーストラリアはワーホリできている日本人が多いです。またお金を払えば仕事を紹介してくれるエージェントもあったりします)
ワーホリだと足元を見られて労働に対するまっとうな賃金がもらえない仕事も多くありました。

どこに行っても日本人がいるのならと思い、給料の良い日本人経営のクリーナー(清掃員)になりました。
上司は日本人でも同僚やお客さんは外国人なので英語に対する不満はありませんでしたが、働き方が日本人で台湾人の同僚もいましたが同じ日本人にだけ高いクオリティと細かい気遣いなどを求められました。

その後、ウルルで一か八かでレジュメ配りをするもどこにもひっかからず、英語をしゃべれない自分にかなりもやもやすることになりました。

カナダでの仕事探し

2カ国目のカナダでは完全な英語環境を目指し、1ヶ月奮闘して映画館のキッチンのバイトをゲットしました。
オーストラリアに比べワーホリで来ている人が少ないのからか倍率が低く運良く仕事にありつけました。
海外の働き方を学べて、本当に良い経験ができたなと思っています。

英語環境で働いていると今度は日本人の友達がほしいと思いジャパレスで仕事を探しました。ジャパレスでも接客は普通に英語になるので日本語環境だから英語が学べないということはないです。キッチンも外国人が働いているジャパレスも多いです。
日系だと思い寿司屋でのアルバイトに応募しました。結局は韓国人経営でしたが、接客業で電話対応もあったりでそれもまた良い経験になりました。

仕事の不安もろもろ

英語がまったくしゃべれなくても、日本人環境(ジャパレスなど)の仕事などいくらでも仕事はありました。
学校とジャパレスを掛け持ちし、慣れてきたら英語環境の仕事を探す人もいました。

アジア人経営(日本含む)は少し厳しいところもありますが、同じ英語を話せない苦労を知っている分チャンスをくれる気がします。

社会人になってからのんびりすることもなかったので、アルバイトも久しぶりで楽しめました。
海外の人たちと働くときの振る舞い方がわかったのもよかったです。日本人ほど真面目に働かないので指示をするのが難しかったです。
他にも日本で働いていた時は仕事なんてつまらなくて当たり前だと思っていましたが、カナダでは楽しく働こうとする人たちと働けて仕事とは楽しいものなんだと気づかされました。日本で働く気力がなくなっていたのでカルチャーショックでした。
そんなこともあり半年もすると帰国してからの仕事の不安も襲ってきて将来に繋がりそうな仕事ができるよう準備しておけばよかったかなと後悔もしました。

参考サイト:手数料無料の留学手続きサービスなら【カナダジャーナル】

年齢の不安

気づけばもう30歳過ぎたという焦りと不安。

行く前の年齢の不安

30歳って立派な大人なんだから、海外なんて言っていないで地に足をつけて暮らすべきだよなと思ってみたり。
まわりの友達は子供2人目産んだんだっけと思ってみたり。
仕事が嫌になったから海外に逃げるだけじゃないのかと思ってみたり。

いい歳してなにやってんだろうと自問自答する日々でした。

それでもずっと気になっていた海外で暮らしてみることを諦めてしまったら後悔することだけが明白だったので行くことにしました。

行ってから思う年齢のこと

年齢をあまり気にしなくなりました。
日本は縦社会で年齢によって言葉遣いを変えたりしなければならず、年齢を気にする文化がありますが海外では年齢で態度を変えられるということがありませんでした。
英語だから気づかなかったのかもしれませんが、そもそも上司だろうと下の名前呼び捨てですしね。年齢など関係なく人として接してくれるのがとても居心地が良かったです。日本で感じる年齢の重みを感じずにすみました。

日本のバイトではいつまでたっても大学生との距離が埋まりませんが、カナダでは30歳過ぎててもパーティに誘ってくれたり、Xファイル見にくる?と誘ってくれました。

ワーホリが終わった今でも海外に行こうと思えばいくらでも行く手段があることチャレンジすることは恥ずかしいことじゃないと気づきました。

英語などの必要性

私が英語身につけて何か役に立つのかという疑問。

行く前に思っていた英語への疑問

当時は英語を使って仕事ができたらいいなとうっすら思うものの、ちょっと海外の行ったくらいでビジネスレベルの英語なんて話せるようにはならないだろうなと思っていました。

というのも中高と少なくとも6年はすでに英語の勉強をしていたし、その後も英会話スクールに通ったりと勉強はずっと続けていたからです。
海外へ行って英語にどっぷりつかれば英語が伸びるんじゃないかとも思っていましたが、語学学校へ行って英語は地道にコツコツだなと痛感しました。
明確が目標がないととてもじゃないと続けられそうにないなと

語学学校で自分の英語力を知り、英語を頑張っている人たちを目の当たりにして自分の英語に対する意気込みは弱いんだろうなと思いました。

英語を使って仕事をすると言っても、日本で働くのならそこまで英語は必要ないんじゃないかとも思ってしまい、実際仕事で英語はほとんど使わなかったし使ったとしてもメール程度でなんとかなっていました。
もちろんもっと英語を使うような仕事をしてみたいけれど、自分の業種ではあまり想像がつきませんでした。

とモチベーションがかなり下がっていました。

行ってから思う英語の事

行ってからは必要性なんて言ってられないくらい英語を使うので、英語を学ぶモチベーションはあったと思います。

わかりやすく数字で言うならばTOEICで360点くらいだったのが645点まで伸びました。
しかし1ヶ月語学留学に行って2ヶ国で1年と数ヶ月もワーキングホリデーに行った割には伸び率は低いと思います。
思い返せば働き詰めでろくに英語を勉強していなかったので自業自得だと思います。
日本語も割と使っていましたし。

ただ数字では見えませんが英語でのコミュニケーション能力が高まったと思っています。文法は未だわからないけれど、自分の話で外国人を笑わせられるくらいにはなりましたし、仕事で疲れてる子の悩み相談を聞いたりと対外国人に対して英語が伝わらない恐怖とかが減りました。

帰国してからも英語は必要なのか微妙ですが、現地でできた友人とは英語でやりとりするので英語を使う頻度は増えたのかなと思います。

友達はできるのかという不安

行っても友達いなかったらつまらないよなという不安。

パーティ

行く前に思う友達ができるかという悩み

フィリピンの語学学校へ行って、友達ができたあとだったのでワーキングホリデーでもなんとなく友達はできそうだなと思っていました。

ただワーキングホリデーでは語学学校に行くかで悩んでおり、学校へ行かなかったら友達できるのかが不安でした。

行った後の友達のこと

友達はなんとかなります。

オーストラリアで

オーストラリアでは仕事には恵まれませんでしたが最初に、キャラバンというキャンプ場に住んでいたのでキャンプ場の住人達と仲良くなりました。

そこではいろいろな国の出稼ぎの人たちが工場で働くためにウェイティングしており、仕事がもらえるのかという不安を話たり実際に働いている人にどんな感じか聞いたりと交流がありました。
その後のファームでもシェアハウスに住む日本人と仲良くなったりしました。
シドニーではシェアハウスの人たちだけでなく、ミートアップにも参加したりと交流がありました。

場所が変わってももフィリピンの語学学校やファームの人たちなど会うこともあり楽しく過ごせました。

カナダで

カナダではバンクーバーのずっといたので、シェアハウスに住む日本人と少し住んでたトルコ人と仲良くなりました。

バイト先でははじめのうちは仕事もできないし片言の外人で学生でもないし愛想もよくないということであまり馴染んではいませんでした。
それでも海外なのでHow are youからはじまり気さくなカナダ人や留学生が話しかけてくれて数ヶ月もすれば仲良くなっていました。
また職場では定期的にイベントも行われていて仲良くなるきっかけや話題も多かったのでよかったです。
辞める日にはサプライズでケーキを用意してくれていていい思い出もできました。

友達まとめ

ワーキングホリデーで語学学校に行かない場合は、住む場所と職場が大事かなと思いました。
友達の友達やパーティなど多くの人たちと出会う機会がありましたが、チャンスは一度きりで自分のトーク力のなさと人見知りで損している部分も多かったです。
その点、職場や住まいであれば時間をかけて仲良くなれるので話すのが苦手な場合は職場と住まいに力を入れるといいと思います。

ワーホリほど安く確実に海外へ行って働けなくなってしまったけれど道は意外とあるので海外で働くことを新たな目標にしようかとも思っています。

参考サイト:かしこく、サクッと、留学。「スマ留」

海外で暮らせるのかという不安

海外で働きながら暮らすってなにから始めればいいのという不安。

道

行く前の海外で暮らす不安

そもそもワーキングホリデーのビザってどうやって取るんだろうという疑問から始まり、仕事をするということは家に電話に銀行口座に個人ナンバーみたいなものも必要で英語で全て行うのかと思うと憂鬱でした。
住む場所によっても仕事の量や物価、家賃なども違いどこに済めばいいのかも決めるのに時間がかかりました。

行った後に思う海外で暮らすこと

行ってしまえば、周りの人が助けてくれてなんとかなりました。

ほとんどの人ははじめてのワーホリはエージェントを利用してビザを取得したり、口座を開設したる、語学学校を紹介してもらったり、オーストラリアでは仕事を紹介してもらったりしていました。

私も友達が協力してくれていなかったら、エージェントに頼っていたと思います。

2度目のカナダでは慣れもありそこまで暮らす不安はありませんでした。

住んでしまえば意外と暮らせました。
しかし1年しかないワーホリで悔いのないようにしなければと、住む町を変えたり、帰国日を考えたり、仕事を増やしたり、旅行に行ったり、パーティに参加したりと短い期間に小さいことから大きいことまで決断の日々でした。心安まる暮らしというよりは期限を常に意識して暮らしていました。

ワーホリに行って後悔したこと

1度目のオーストラリアでのワーキングホリデーでは、はじめてということもあり英語への意気込みもありましたが楽しようとして自分からあまり行動せず、仕事も友達からの紹介と、日系の仕事しかしませんでした。
周りの友達はジャパレスでも外国人相手に接客していたり、レジュメを配ってアイスクリームの販売をゲットしたり、現地の会社の面接に英語で挑んだりと挑戦をしていました。
友達作りもシェアハウスの友達や友達の友達など自分から新たに作ることもしませんでした。
半年を切る前にようやくレジュメ配りを頑張りましたが仕事もきまらず諦めて帰国しました(6ヶ月切ると仕事が見つかりづらいと言われています)。
そのときは頑張ったつもりでも帰国してからも後悔が残るものとなりました。

ワーホリに行ってよかったと思うこと

素晴らしい景色

2度目のカナダでのワーキングホリデーでは最後のワーホリということもあり悔いのないように少しアクティブに活動しました。

といっても本当に少しで結局逃げでレジュメも配りませんでしたが、運良く仕事にありつけました。

仕事はグループ面接でネイティブにまじり片言の英語でよく受かったなと今でも思いますが、逃げずに面接を行って採用されたことは自信にも繋がっています。

海外に出たことで価値観が変わり視野も広がりました。また現地の大きな会社で働けたことで働き方に対する考え方も変わり成長できたと思っています。

英語も自分ではいまいちですが、友達が言うには伸びているらしく無駄ではなかったと思っています。

1度目も2度目も日本にいたらできないような経験ばかりで、遊んで学べて本当に行ってよかったなと思っています。

ひとつ言えることは日本でそのまま働いていたら私は後悔と海外への憧れを抱き続けて今でももやもやしていたことでしょう。

おすすめサイト:かしこく、サクッと、留学。「スマ留」
おすすめサイト:1週間から行けるセブ島留学【MeRISE留学】